セザール・フランクとその弟子達

César Franck et ses disciples

 

 

 

                      

 

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごあいさつ

今までの公演を通じ17世紀のバロックから20世紀の現代音楽までフランス音楽の歴史をご紹介してきましたが、今回はフランス革命(1789)前後から起きた1世紀近くの衰退期を救い、フランス音楽の挽回に尽力した19世紀後半の音楽家をテーマに取り上げました。当時パリに蔓延するイタリア等外国の音楽や娯楽的フランスオペレッタに業を煮やしたサンサーンスが「真のフランスの芸術を!」と呼びかけ「国民音楽協会」を設立、それに対し即、賛同して大いなる活動を担ったのがフランクとその弟子達でした。フランクは敬虔なるカトリック信者であり教会オルガニスト、又パリ音楽院教授から院長に至るまでの職を全うする傍ら時間の許す限り生徒達を熱心に教え、自分は未明に起床して作曲したと伝えられています。師フランクの人間的寛大さ、崇高なる精神と芸術性を熱烈に崇拝する弟子達のグループが“フランキスト”と呼ばれ、今夜演奏される作曲家以外にもピエルネ、デュパルク、等近代フランス音楽の重要な作曲家達が多く含まれていて驚かされます。フランクはドイツ音楽を理想とした事により、それまでのフランス音楽には稀である心の深さを作品に対し追求しました。弟子達は師の作曲技術及びその精神を受け継ぎながら新しい音楽の道を開拓していく訳ですが、当然な現象として次代の作曲家ドビュッシー、ラヴェル等フランス印象派と対抗する事になります。 斯くして真摯なる音楽への情熱は荒波を超え、価値ある新しい音楽を生み出して行くという音楽史の運命、そんな着眼点で今夜の素晴らしい作品をお聴き頂ければ幸いです。

名古屋フランス音楽研究会代表  CAZABON田島三保子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

 

今夜の作曲家達

   

 

  

ヴァンサン・ダンディ

V. d’INDY 18511931

 

ルイ・ガンヌ

Louis GANNE

18621923

セザール・フランク

Cézar FRANCK

18221890

  

ポール・デュカ

Paul. DUCAS

18651935

  

エルネスト・ショーソン

Ernest CHAUSSON

18551899

 

Programme 

     

 

Prologue     

          プレトーク フランキストとその時代」

Les Franckistes et leur époque

 

 

 

 

 

渡辺 康 (作曲家)

 

フランス革命以前の100年間はどうなっていたか?と言いますとルイ14世による1682年ヴェルサイユ宮殿建設開始、そしてフランス後期バロックの作曲家達の活躍や歴代王ルイ1516世の栄華が存在し革命の勃発。革命が起きた要因には当時外国へも出征した軍隊や王侯貴族の贅沢な出費があげられ、貴族と市民との衝突を生んだが音楽の発展に関しては、宮殿の中だけではなく宮殿外で市民の間ではオペラが流行り始めていた。1780年には諧謔的オペラコミック、革命後の約100年間では音楽衰退期といえども舞台でのバレー入りグランドオペラ等が内容は軽い物だが盛んに上演された。さらに革命直後「パリ音楽院」が設立され、そこで学ぶ神童達はオペラを作曲しローマ大賞を勝ち得、後に音楽院教授になるのが作曲家のエリートコースであった事、オペラへの成功が一番で器楽曲は学生の課題のようなものという風潮が続いた為音楽全般衰退への影響となった。そこでサンサーンスは「フランス人によるフランスの音楽、そして正当な器楽曲の発展」を主張、音楽家に強く呼びかけ1871年国民音楽協会を設立した。サンサーンスにとって「芸術とは形が一番重要であり、優美なライン、和声、そして音色等から構築される調和が大切である。私にとって表現や情熱は単にしろうとを魅惑し煽るものに過ぎない」と説き、そのため形式を重んじるドイツ音楽を範とした。同協会にはフォーレ、マスネー、タファネル、ギロー等が集結し作品を発表していたが、サンサーンスは気むずかしく徐々にフランクに実権が移ってゆく。1872年パリ音楽院のオルガン教授に就任したフランクは大勢の門下の信望を集めると同時に、弟子達が国民音楽協会で活躍し得た事実が重なりフランキスト派が誕生したと言えよう。師を中心に弟子たちが熱心にグループを組むという現象は、(後のサティーを囲む「フランス6人組」にも見られる)がフランス人においては珍しい。フランクの弟子であるP.デュカはドビュッシーと同年代であり、作曲科ギロークラスでは同門だがドビュッシーはフランク派にコンセプト面で対立を見せた。(私個人の意見では深い所ではつながっていると思う)しかしドビュッシーはフランクの作品自体を非常に認め、音響についての共感から「少々角張っているが、素晴らしい」と賞賛している。最後に衰退期に出現した孤高の作曲家のようなべルリオーズの存在について付加するが、1828年に彼が聴いたパリ音楽院オーケストラ演奏のベートーヴェンの交響曲に器楽の素晴らしさと可能性を発見して、1830年に有名な「幻想交響曲」を作曲したのである。その精神が根源となりサンサーンスやフランクに伝承された事は興味深い。   ― 以上講話の概要 ―

 

     フランク

C. Franck

ヴァイオリンソナタ イ長調より

Sonate pour violon et piano en la majeur

1楽章Allegretto moderato

2楽章Allegro

 

1886年 64歳のときの作品で、フランクがいくつかの傑作を生み出した円熟期に作曲された。ヴァイオリンソナタは1曲のみにもかかわらず、ヴァイオリンソナタの最高峰の一つと言っても過言ではない。この曲は友人で同郷のリェージュ生まれの大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザーイ(18581931)に結婚のお祝いの贈り物として捧げられた。そのときのフランクの献辞 −「ささやかな手書き譜ひと束、わたしはここに心のすべてをこめました。」― 初演は作曲された年にイザーイとボル・デ・ベーヌ夫人によってブリュッセルにて行われ、その後もイザーイはこの作品の価値を見抜いていたので、ヨーロッパのあちこちで演奏してまわった。このソナタは4つの楽章からなり、フランクの語法である循環形式を使っている。 第1楽章の第1主題の D, Fis, D、を全曲の基本楽想としてあらゆる楽想を導き出していき展開していく・・・静寂、祈り、激情、心の奥底の葛藤や動揺、そして昇華・・・それらをなんと美しい旋律で語っていることか! 1楽章はアレグレット・ベン・モデラート 展開部を持たないソナタ形式。第2楽章はアレグロ ソナタ形式。第3楽章はレチタティーヴォ・ファンタジア自由な三部形式(もっとも感動的な楽章である)。第4楽章はアレグレット・ポコ・モッソ ロンド・ソナタ形式。ひとこと余分に書かせていただくと、とにかく、molt dolce,(非常に優しく) dolcissimo(最高に優しく)の表記が他に類を見ないほど多いのも興味深くはないだろうか。尚本日は2楽章までである。

竹田 千波 記

 

 

Pf.渡辺 理恵子 Vl.竹田 千波

 

デュカ

P. Dukas

 

ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲

Variations, Interlude et Finale sur un thème de Rameau

 

 

ポール・デュカ1865年パリに生まれ、ピアニストの母親の影響で幼少から音楽に親しみ、パリ音楽院に進学する。デュボアに和声楽を学び、エルンスト・ギローの作曲のクラスでは、ドビュッシーと同期となる。作曲に関しては極端な完全主義で現存する作品十五曲ほど。他には数倍もあった作品を自ら破棄したとされる。批評家としても「週刊批評」など一流紙で執筆した。パリ音楽院教授として作曲、編曲の教育に携わり、メシアン、デュリュフレなどの門下がでる。フランキストの一員でフランス音楽の伝統に根ざした斬新な和声法と管弦楽法で後生に影響を与え、中でも《ピアノソナタ》《魔法使いの弟子》は広く知られている。1935517日、パリにて死去。

《ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲》1903年に作曲がなされた。03年、「国民音楽協会」において、Ediuare Rislerが初演している。ラモーの《ハープシコード曲集第二巻》(1724)<皮肉>のメヌエットの十六小節のシンプルなテーマに基づいている。第一変奏〜第六変奏は対位的な要素を残して変奏し、第七変奏〜第十一変奏では主にリズム変化を追及。間奏曲は詩的な幻想である。第十二変奏(終曲)は規模も大きいが軽やかで美しい。

  

Pf.竹中 勇記彦

 

 

独断と偏見で言葉を添えます。主題-パサついた肉に脂身を注入。第一変奏-アイアンアートの手すり。第二変奏-元気のいい老人。第三変奏-お世辞と陰口四変奏-そよ風。第五変奏-嘆き。第六変奏-懲りない希望。第七変奏-リスの徘徊。第八変奏-波打ち際。第九変奏-なんとなくはしゃいで。第十変奏-虚勢。第十一変奏-悲しみへの憧れ。間奏曲-幻想の中にカッコウが聞こえてくる。終曲-カッコウで始まり主題の中のモティーフが散りばめられ、フランス系オルガンのトランペット管を使ったクォドリベット(鳥達の饗宴)。 

以上 竹中 勇記彦 記

 

ダンディ

V. D’indy

 

 

フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープの組曲 Suite en parties Op.91

 

T ソナタ形式の序奏Entrée en sonate; Modérément animé

U 古めかしい歌Air désuet; Modéré, sans lenteur

V サラヴァンドSarabande

W ファランドール(ロンド形式)Farandole variée en Rondeau

 

ヴァンサン・ダンディは幼い頃からピアノを学ぶが、一族を喜ばせるために法学を学ぶ。しかしながら、音楽家になることを決心しており、セザール・フランクの献身的な門人となる。1894パリにスコラ・カントルムを創設し、没するまで同校ならびにパリ音楽院で音楽を指導する。門下に、サティ、ルーセル、マルティヌーがいる。また、フランクやベートーヴェンに関する研究書を書いた。ダンディの作品は、今日さほど一定して演奏されていない。最も有名な作品はおそらく「フランスの山人の歌による交響曲」であるが、彼の作品は、フランクと並んでワーグナーからの影響を見せている。(ダンディは1876バイロイト祝祭劇場において、「ニーベルングの指環」の初演に出席している。)

「組曲」op.911927年に、ハープの巨匠ピエール・ジャメ率いる「パリ5重奏団」のために書かれ初演されている。この5重奏団は、フルート、ハープ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという少々かわった編成の団体だが、フルートの巨匠、ルネ・ロアやガストン・クリュネルらも参加しており、この団体のためにピエルネ、ルーセル、フランセなども作品を書いている。曲は、4楽章からなる組曲だが、2楽章にはヴァイオリンにフラジオレットを用いてオルガンの響きの効果を出している。(当時のはやりで、ラヴェルもボレロの中で用いている。)今後、一生聴かない(弾かない)かも知れないほど、演奏されるのが珍しい曲である。

以上 筧 孝也 記

Va.中村暢宏Vl.松浦有希子Vc.外山純子

Harp内田真紀子 Fl.筧 孝也

 

 

ガンヌ

L. Ganne

 

アンダンテとスケルツオ

Andante et Scherzo     

 

 

Pf.笠井 奈緒子 Fl.筧 孝也

 

     ルイ・ガンヌ18621923)は、デュボアとフランクに学んだフランスの作曲家です。彼は長年、モンテカルロのオペラ指揮者、音楽監督を務め、どちらかと言えば軽い作風の作品 (マーチ曲、ダンス曲、サロン用小品などを含む) をたくさん残しています。特に“La Marche Lorraine” と “Le Père de la Victoire" の2曲のマーチはフランス人なら誰しも知っているメロディーです。

「アンダンテとスケルツォ」はパリ音楽院卒業試験用に1901年に作曲されました。 同時代に書かれたフォーレやゴーベールなどの曲に比べると演奏される機会の少ない曲ですが、近代フランスのフルート曲では重要なレパートリーといえます。曲は、叙情的なアンダンテにから短いカデンツァをはさみ、妖精の舞のようなスケルツォに続きます。 筧 孝也 記

 

ショーソン

E. Chausson

 

ハチドリ Le colibri

「愛と海の詩」よりExtrait dePoème de l’amour et de la merリラの季節 Le temps des lilas

 

エルネスト・ショーソンは、およそ40の歌曲を作曲しました。セザール・フランクに師事し、友人であったデュパルクと共に彼は、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルの歌曲に先立ち、あるいは重なり合いつつ、近代フランス歌曲(メロディー)の発展に重要な足跡を残しています。

ハチドリ:ル・コント・ド・リールの詩に4分の5拍子を用い、丘を飛びかう幸せな緑色のハチドリが金色の花から甘い蜜を息絶えるまで飲み干すように愛する人と唇を交わし、同じ幸せの中に息絶えることを望む愛の歌です。

リラの花咲くころ:モリス・ブショールの詩で「愛と海の詩」という声楽とオーケストラのための長大な曲の最後の部分です。彼の歌曲の中では、最も広く親しまれているこの上なく深い絶望感をもった悲しみの歌です。 

岡田 理恵子 記

    

 

フランク

C. Franck

ピアノ五重奏曲 ヘ短調よりQuintette pour piano et cordes en fa mineur

1楽章 Molto moderato quasi lento Allegro

 

 

◆セザール・フランク18221210日、ベルギーのリエージュの生まれで、母は完全なドイツ系、父ニコラ=ジョゼフは銀行家であるが優秀なピアニストでもあった為、恵まれた音楽的環境で育った。フランクがリエージュ音楽院にてピアノ科及びソルフェージュ科で一等賞得た翌年の1835年家族と共にパリに移住しているが、弟もピアノ演奏に長けている事から父親は二人への英才教育を考えていたらしい。13歳で既に作曲の才能を示したフランクだが、1837にパリ音楽院に入学しピアノ、対位法、オルガン、各科で研鑚を積み優秀な成績を修得する。その後ショパンやリストからもピアノの才能を注目されていたが、1858年からは終生、聖クロチルド教会のオルガニストを務めた。1871サンサーンス、フォーレと共に「国民音楽協会」設立、翌年1872年パリ音楽院教授に任命され、1886年からは同楽院院長を歴任している。それ故、彼の音楽史上の位置付けはフランスの音楽家である。そして彼の育成した優秀な弟子達“フランキスト”から「気高い父」と呼ばれ、彼らと共にフランス音楽の名誉と立て直しのために成した活動や貢献は、その後に続くフランス近代音楽楽壇に巨大なる影響を与えた。★作曲家としてのフランクは独自の道を歩む孤高の人物であり、安易な成功を軽蔑し、真に深い感動を与える芸術的表現を求めて、バッハと晩年のベートーヴェンの作品から教訓を見出しながら長い時間をかけて独創的作風を発展させた。その結果50歳を超えてから次々に傑作が生み出されたが、1890[国民音楽協会]コンサートにて満場の喝采を浴びた「弦楽四重奏曲ニ長調」を最後に一ヵ月後、路上で馬車のかじ棒に横腹を打たれ、肋膜炎を併発68歳のとき不帰の客となった。作風は@気品高い旋律、A和声の新しさ、B構成の堅実さと調和が上げらるが、特に有名な事はフランクの作曲技術に関し、形式として循環形式(各楽章内、または多楽章間で共通の主題を繰り返す形式)を独自の語法として完成させた事である。その他の主要作品:オラトリオ《至福》(1879)交響詩《鬼神》(1884);「前奏曲、コラールとフーガ」(1884);交響的変奏曲(1885);交響曲ニ短調(1888);交響詩《プシュケ》(1888);前奏曲、アリアと終曲(1888);三つのコラール(1890); 他

 

 

★ピアノ五重奏曲1879年の作品。彼の循環形式が正に成功している傑作。三つの楽章からなる曲だがテーマが循環しながら登場し、各楽章間を密接に関連させている。今夜の演奏は1楽章のみだが、楽章内で複数の旋律が循環形式の中で提示され、組み合わされる事によって情熱的で高潔な音楽の姿が出現している。曲は「序奏」のテーマがドラマティックに弦楽四重で始まり、それに内省的なピアノが静かに答える。弦の悲痛なほどの訴えと優しさ、冥想の中で迷いつつも清らかな心を語るピアノとの対話は盛り上がりを見せながら「アレグロ」に入る。決然とした第1テーマと、相反する非常にのびやかで叙情的な第2テーマは循環形式で半音階的進行から大胆な転調に及び、強い感情移入と共に幻想的な世界が展開されている。このロマン性と情熱は宗教的な神への問いかけであろうか?最後はなだれ込むように「プレスト」に入り雷鳴のようなfffのテーマから突如pに変身し、第一ヴァイオリンは時を刻むようなピアノの上でひたすら静まり半音階で上昇してゆく。第二ヴァイオリンの祈り、チエロの序奏テーマ、最後にヴィオラがため息のように消え行くモチーフを奏し、五重奏の世界は白い闇の中に消える。

 以上 C.田島三保子 記

 

 

Pf.カザボン田島三保子 1Vl.平田文 Va.中村 暢宏

UVl.松浦有希子 Vc.天野 武子

 

アンコール曲

終演後:全員ステージ挨拶

 

 

ベルリオーズ:幻想交響曲より

「舞踏会」

Pf.C.田島三保子 Vl.竹田千波

Vl.松浦有希子 Fl.筧 孝也

 

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